蒼滝の常夜燈
蒼滝橋の手前の道端にあるこの常夜燈は花崗岩の自然石を宝珠、笠、火袋、中台、竿とたくみに組み合わした、いわゆる庭向きの寄せ灯ろうと呼ばれるも のです。この石灯ろうの竿にあたる表には「蒼滝不動尊常夜燈」とあってその裏側には「天保十己亥年(1839)五月願主、尾張大宝長尾治右衛門重教」 〜 世話人 杉屋喜三郎、菊屋幸助、山崎屋治郎吉 〜
この灯ろうを建立したのは、尾張国大宝村(海部郡飛島村)の長尾治右衛門(尾張藩の許しを得て大宝新田を開拓した人物)で湯の山へ湯治に来遊して温泉の効能で病気が治り、その感謝のしるしに蒼滝不動尊に常夜燈を献納したものと思われます。
当時の湯治客は一週間から一ヶ月ぐらい温泉に泊まり込みで滞在、湯治のつれづれに三岳寺や不動堂、山王社へ参詣、大石、長石、三本杉の景勝を散策するのが楽しみとなっていました。
ことに不動堂は名瀑布、蒼滝の真ん中にあって眼下に温泉街、遠くに伊勢平野そして尾張金鯱城も望める絶景の地にあり、堂は六尺に八尺、中の不動尊は御丈二尺六尺五分の石像で東菰野村の管理する不動堂といわれていました。
この不動尊に献納した灯ろうの建立に、地元で一切の世話をした杉屋喜三郎と菊屋幸助、それに山崎屋治郎吉は、湯の山で湯宿を営む主人たちで、杉屋と菊屋は、貞享四年(1678)温泉を復興して以来の古い宿でした。
同じく山崎屋も享保のころから続く湯宿で、このほか山形屋、柏屋、梅屋、吉文字屋、藤屋、橘屋などの宿が軒を並べていました。