湯の山三岳寺 芭蕉の句碑

湯の山三岳寺 芭蕉の句碑

湯の山の三岳寺境内内にある句碑は、芭蕉が蓑を着て腰を折り、つくばるような形をした名石です。

文月や六日も常の夜には似す壬子秋義観代

この句碑は芭蕉が「おくのほそ道」の旅で出羽の酒田をあとに、出羽と越後の国境、鼠が関を越え、直江津の古川市左衛門方まで来て一晩泊まり、そこで読んだもので、元禄元年(1689)七月六日のことといわれています。

この句の意味は「明日は年に一度、織女と牽牛が天の川で逢うのであろうと思うと、六日の今宵はいつもの夜とは違った気分がするものだ」というもので長い旅の疲れに暑さも加わり、憂愁の芭蕉に、雨のあと直江津の夜空は格別美しかったと思われます。

句碑に刻まれている「壬子秋 義観代」の六文字は、建立の年代と建てた人を現していますが、なぜ湯の山の三岳寺境内に建てられているのでしょうか。 それは、菰野財産区が所有している菰野藩寺社奉行宛の願い書に嘉永二年(1849)西菰野村庄屋矢田伝兵衛ほか三名の連署で、「この度湯の山三岳寺恵孝入 寂後無住にて垂坂村観音寺と兼住のこと桑名仏眼院弟子覚漸房義観を後任に願い出て候、願の通りおおせつけ下され候。」とあって、これは先の住職恵孝が亡く なったので、その後任に桑名魚町の天台宗仏眼院から義観を三岳寺へ派遣されたもので、それから三年後の嘉永五年(1852)「壬子秋」に義観が建立したも のと考えられます。

三岳寺境内の三本杉は景勝の地で、古杉の根方に俳人、歌人が集まり月見の宴や句会が盛大に催されました。その頃、菰野には宇佐美精得、太田順庵、村井長央ら世間に名の聞こえた文人が活躍し、三岳寺はこうした歌人、俳人の集まるサロン的な場所でした。