養老年間(717~723)の温泉発見からつづく湯の山温泉は栄枯盛哀を繰り返してきました。
信長の伊勢進攻で三岳寺が焼き討ちにあって衰退、江戸時代に温泉湯宿として再興され、明治十年 西南戦争のおりに負傷兵の臨時療養所に充てられて活気を取り戻しました。
昭和二十五年には愛知国体の登山競技開催地として全国に知れわたり、昭和三十四年の御在所ロープウエイ開通で爆発的な人気を集めました。
その間、多くの文豪や歌人、動植物研究家が訪れた湯の山温泉は、都市近郊にありながら豊な自然が残る温泉地であり、関西の奥座敷とも呼ばれています。
御在所岳へ登れば琵琶湖、伊勢湾を一望し、天気の良い日には遥か富士山をも遠望でき、温泉街には三岳寺や蒼滝、大石といった見所を訪ね歩く遊歩道があります。
恋結び折鶴伝説
ときは江戸時代。上方の大店、ひとり娘の葵と使用人の佐吉は、結ばれぬ恋を思いつめ湯の山に。
そして、蒼滝にふたりで身を投げようとしたその時、ひとりの僧兵が現れ「温泉にでもつかれば、気持ちも変わるかも知れんぞ」と励ましたのです。
その言葉に気を取り直したふたりが湯に入ると、なぜか思い詰めていた気持ちが、ほんのりと解けていくのが分かりました。
あくる朝、僧兵に礼をと三岳寺を訪れたところ姿がみえません。せめて感謝の気持ちを伝えようとふたりは鶴を折り、寺へ奉納しました。すると折鶴は連なってひらひらと舞い上がり、飛びたっていきました。
この不思議な出来事に、明るい望みが生まれ、ふたりは上方に帰る決心をしたのです。
それから数年後、幸せになったふたりは三岳寺を訪ね、住職にあの僧兵のことを話すと、もう何十年も僧兵はいないとのこと。
ふたりを救った僧兵は仏様の仮のお姿だったのでしょうか…。
今でも三岳寺では、永遠の愛と、幸せに結ばれることを願い、折鶴を奉納する恋人たちの姿が絶えません。
【鹿の湯伝説】別名「鹿の湯」と呼ばれる湯の山温泉の伝説のひとつ
むか~しむかしのこと。ひとりの心やさしい木こりが山で一頭の傷ついた鹿を見つけました。後をつけていくと、鹿は谷川に傷ついた足をつけ、なにやら気持ちよさそうにしています。
その時、木陰に狩人の姿が。木こりは大声をあげ、この鹿を逃がしてやりました。
それから数日後、木こりのもとにいつぞやの鹿が訪ねてきて「危ないところをありがとうございました。あのくぼみには、ケガに効くお湯が湧き出ているのですよ」と告げました。
その話はまたたく間に遠い村々や町にまで広がったとか…。