御在所山か、ございしょが岳か

御在所山か、ございしょが岳か

御在所岳は南に鎌が岳、北に国見岳を従え、まるで三尊仏の阿弥陀如来のように、見るからに雄々しく、実に堂々とした山容です。ふもとの菰野では、昔からこの山を単に「ござんしょ」「ございしょ」と下に“山”や“岳”をつけて呼んできました。一般には「御在所岳」という呼称がひろく使われています。

ところが地図の基準となっている国土地理院発行の地図を広げてみると、この山は「御在所山」と記されています。
はたして「御在所岳」が本当なのでしょうか、それとも「御在所山」なのでしょうか。茨城県つくば市にある国土地理院の地図資料課に尋ねてみますと− 明治二十四年に陸軍参謀本部陸地測量部が、全国津々浦々まで測量して初めて正確な地図をつくりました。その際、山脈や連峰の中で主峰となる山には、その名 の下に“山”をつけて表記しました。そのよい例に近くでは「伊吹山」や「比叡山」があります。ですから正式には「御在所山」が本当です。−ということでした。

鈴鹿連峰は本州の中央部にあり、気候風土や文化においても東と西に二分する重要な山脈といわれています。明治の人はこの連峰を大将に“岳”をつけず、お山の尊称をつけて崇めたものとおもわれます。

地図をつくるための三角測量の基準となる三角点は四角い花崗岩でつくられ、地中深く埋められています。山の切り立った頂上よりも、やや低く、より安 全な場所を選んで設置されていますから、三角点が必ずしも山の高さを表示しているわけではありません。そういったことから山の標高、正確な高さを知りたい という全国からの要望に答えて、国土地理院では、日本中の“名のある山”のうち1003を選んで「標高一覧表」をつくりました。

御在所山の海抜も、当初明治二十四年の測量では1209.1m、昭和五十五年の修正1209.8m、平成二年には1212mと修正され「標高一覧 表」にもそう明記されています。これは御在所山が年々高くなっているわけではなく、測量技術が進み、より正確な数字に修正されたわけです。御在所山の名は “神仏のおわすところ”のいわれがあり、御斎所山、五在所山、五祭山、御山所の字をあてているところもあります。菰野に伝わるはなしには、垂仁天皇の皇女 倭姫命が天照大神の神霊を大和の笠縫の宮から、伊勢の五十鈴川のほとりへお遷しするとき、その鎮座地を求めて伊賀、近江、美濃の国を巡行され、桑名の野代 から北伊勢を亀山へ向かわれるとき、この山の上に仮の屯宮を設けられたことから御在所とよばれるようになったといわれています。